「欠けたパーツ」は「誰かの居場所」になる。
こんばんは。高見です^ ^
本日もお読みくださりありがとうございます。
先日、「水槽の中のマーメイド」というお芝居を観てきました。

途中、囚われた人魚が
じぶんの「声」と引き換えに
「自由」になることを選ぶお話なんですけど。
その時に「伝える目」も「握り合う手」もあるって。
言葉を口にするんです。
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言葉というのはとても便利なモノで。
見えないものを形にしてくれるすごいものです。
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わたしには、小学校3年生の時に産まれた三番目の妹がいるんですけど、その時に書いた作文が、すごく評価されたことがあって。(学校の先生に何度も赤を入れられ、何度も書き直した作文だったのでよく覚えています。)
作文の内容はーーー妹が生まれてすごくうれしかった自分と。妬ましくなってしまった自分がいたことを書いたのです。
じぶんの感情を「言葉にする」というのは、きれいなことばかりじゃなくて。
どこか、醜いじぶんを感じることでもあったりします。
じぶんの醜さを誰かや何かのせいにしてしまうと、何も得はないけれど。
じぶんで処理できるようになると、それはとても魅力になります。
「自分らしさ」に繋がります。
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例えば、あなたが大好きな人を思い浮かべて見て下さい。
人というのは欠けてる部分が見えてこそ誰かに魅力を感じる生き物だったりします。ダメな自分も、ちゃんと住まわせて飼いならしてあげてほしいと思います◎
それはきっと「誰かの居場所」にもなるはずです。
あなたの愛する人生でありますように。
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