人はじぶんの本質と一番遠い自分を抱え込む。

こんばんは。高見です^ ^

本日もお読みくださりありがとうございます。

 

例えば、わたしの話をします。

わたしは、じぶんの感情にとても興味があります。言ってしまえば、心を刺激される時間が、何よりも好きなことを知っているのです。そして、心を無視したおこないは苦痛を伴うのです。

もぅ、これはしょうがない真実であります。

ただ、そこには他人を見ていない。とても優しくない一番嫌いな人間がいます。

 

***

 

また、感情を見るということは、内にこもりすぎることになるのです。

「個性的でありたい・じぶんらしくありたい」という強い奥底の欲求が、心の中で偽りの自己を作り上げることにもなります。内にこもり、人と一線を引くことで「何か欠けているかわいそうな自分」を時に作り上げます。

 

それは、とても無意味なモノであり。

個性的でありたいと願ながら

存在すらできない。

一番遠いじぶんを抱え込むのです。

 

 

 

***

 

個性的でありたいという欲求を「得る」には、人と関わることでしか得られないのです。

そのことを、きちんと理解しないといけません。

 

そして「自分の想い」をきちんと見て。

「何を自分が感じたのか・考えたのか」

 

想いを外側に向けて形にすることでしか、じぶんの感情をほんとうの意味で見ることはできません。そして、個性的ではいられないのです。

 

 

 

***

 

きっと、わたしが「優しい人でありたい」

と願うのは、一番嫌いだと思っている人間が、じぶんの心の欲求を満たしているという。

 

どこか、許しのような想いであり、コントロールする言葉であり。

ちゃんと生きることを忘れないための呪文のような言葉なのかもしれません。

 

 

 

あなたの愛する人生でありますように。

 

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